便利屋のおしごと

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はじめに

こんばんは。 福島市で営業中の便利屋トータルステーション代表の齋藤です。 今日は、私が今生業としているこの「便利屋」という職業についてご紹介したいと思います しばしお付き合いいただければ幸いです。

基本的には誰でもできるシゴト

(こんな表現は同業者の方の反感を買ってしまうかもしれません。世の中には特殊な業務をこなす便利屋さんというのも存在するわけですよね。その方のことも一括りにしてしまっては誠に申し訳ないのですが、あくまで一般的持論を述べさせていただきます。) 私が依頼を受けている業務に関して言えば、さほど技術的な経験がなくとも、超人的な体力なくとも、はたまた秀逸な頭脳をもちあわせていなくともなんとかなる仕事です。 ※訂正:ひとつだけ専門分野がありました。私20年以上建設業界におりましたので、水道関係や空調関係の国家資格をもってます。そのおかげで、水回りとかエアコンとかいじったり出来るわけですから、この部分だけは除外して聞いてくださいね。 話は戻りますが、そんなだれでもできるような「ふつうのコトを」するだけで商売になるのか?という疑問をお持ちの方もいるのではないでしょうか。

最初から便利屋にはなれない

「誰でもなれる」と言ってみたり、「最初からなれない」と言ってみたり、「いったいどっちなんだ!」と怒られそうです。 矛盾のように聞こえますが、ここからは精神の話で。 私も最初は素人同然の便利屋でした。 多少建築的な知識が有るぐらいで、行き当たりばったりで勝負してきました。 ただ、ひとつだけ心に刻んできたことはあります。 それは、「依頼者の喜ぶ顔を見ることを第一の目標にしよう」ということでした。 依頼者の中には、お金をたくさん持っているひともいれば、あまり持っていないひともいます。 依頼者の要望を聞きながら価格の折衝を行い、提示の予算に合うような仕事量を提示するといった心配りも必要になってきます。 「お金が合わないからお断りする」だけでは、本当の意味でのお互いの満足は生まれません。 「できるだけたくさんの依頼者の笑顔を見たい」そういう信念がなければ本当の意味での「便利屋」にはなれないのだと思っています。 そして、もうひとつ、「腕をみがく」ことです。 いまも、初めて依頼される内容の仕事はたくさんあります。 ドラクエの勇者のように、場数を踏んで、経験値を上げる。 踏む場数のぶんだけ予習復習をする。 これにまさる勉強はありません。

日常生活でひとりで出来ること

若くて五体満足で体力があってというような方であれば、日常のほとんどのことは出来てしまうでしょう。 しかしよく考えてみてください。 今の日本で生活する上で、何かしらの部分では他の人や企業の作ったモノやサービスを利用することは避けて通れません。 生活のすべてを自給自足で賄っている方は非常に少ないはずです。 わかりやすいところでは、毎日飲む水はどうしていますか? 多分、蛇口をひねれば出てくる水道水であったり、スーパーで売っているボトルウォーターを利用する方がほとんどでしょう。 電気はどうですか? 自家用発電設備を備えているお宅でも、その設備を自前で一から制作して備え付けたという方は、まずいらっしゃらないと思います。 そう考えてみると、自分ひとりですべてをまかなえていることって、実はほとんど無いんです。

日常生活のなかでの相互扶助

前段では、いわゆるインフラと呼ばれる社会生活の基本的な部分での話をしました。 では、そのインフラさえ整っていれば、ひとは生活を営んでいけますか? ものが揃っていて、それぞれ専門的なサービスを受けられれば不自由なくいきていけるでしょうか?   ここで忘れてはいけないのが、相互扶助というものの存在です。 人間は、完全な状態で生まれてくるわけではありません。 この世に生を受けてから、ある程度自活できるようになるまでは数十年の時間が必要です。 その間、人はひとりでは生きていけは行けません。 家族または周囲の人が世話をしてあげなければ、生命の危機に陥るのはもちろん、社会の一成員としての素養を身につけるのは不可能でしょう。 年老いてからもそうです。 いつかは人は年老いて、周りの世話になることを避けることはできないのです。 この、周りの人間との関係というのは、家族であり、近所付き合いであり、自治体・国の行う福祉・教育の施策ということになります。 これらの扶助関係は、人生の長いスパンで考えると、一方通行のものではありませんよね。 双方向に作用する助け合いの関係、これが相互扶助であると言えるでしょう。

相互扶助の一翼を担う便利屋

いまの世の中、その相互扶助のシステムは崩壊しつつあります。 核家族化の進行もひとつの要因です。 一昔二昔前までは、大家族というセフティーネットによって、その成員は守られていたのだと思います。 また、町内会・自治会といった家族間のネットワークも徐々に活動の幅が狭くなっています。 このように「ひととひととのつながり」が希薄になっていく中で、私のような便利屋の役割は、どんどん増えて行かざるを得ません(と自負しています)。  

最後に

とりとめもない話になってしまってすいません。 まとめます。 1.便利屋は、誰でもなれる。だが、任務遂行のためには日々精進あるのみ。 2.世間は便利屋を必要としている。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。